刀剣乱舞をやり始めてから槍なんて一向出やしない。もんもんしながら最初に手にしたのが連隊戦確定報酬だった日本号でした。槍かっこいいぜーっと思いながら、しかし収まらない蜻蛉切への憧れは、活劇刀剣乱舞のせい。ストーリーをきつめの監修で固めてもらって、早く映画を……
蜻蛉切
徳川家康の忠臣、特に武勇に秀でた武将・本多忠勝は、幾度もの合戦を、すべて無傷で終えたと伝えられるほどの武将。その名采配ぶりは織田や豊臣、その他数々の武将からも褒め称えられ徳川家の旺盛に大きく貢献しました。
そんな本多忠勝の愛槍が「蜻蛉切」。
刀剣男子として顕現する蜻蛉切は、その元主の武勇、そこで語られる歴史や思いが込められるもの。ですが、全くの無知な私は刀剣男子である蜻蛉切のかっこ良さに触れることで、そこから本多忠勝という武将の猛将ぶりを知り、その人となりを想像しています。そして感謝することになるわけです。
刀剣男子の蜻蛉切は高身長の筋骨隆々。それもそのはず、実際の槍でも4.5mほどの長さが一般的といわれる中、6mあった蜻蛉切。本人曰く、「名の由来は、穂先に止まった蜻蛉が両断されたこと」と切れ味も抜群。
こんなにも名声のある槍でありながら、おごることなく、
ゲーム内の戦いで誉(MVP)をとっても
「武功を立てるは武人の役目。当然の働きをしたまでです」と話したり、
修練にも手を抜かず、
「訓練で気を抜けば、それが実戦でも癖として出るぞ」と声を上げます。これは部隊長で他の刀たちに檄を飛ばしながら、常に自分にあびせる言葉でもあるんだろうな、と想像させてくれる。
それは本多忠勝の辞世の歌をみて「まさにっ」と思うのでした。
死にともな 嗚呼死にともな 死にともな
深きご恩の君を思えば
忠義の武将だった本多忠勝が徳川家康の天下のためにした貢献は計り知れないものだったろうに、その歌にはまだ死にたくない、主君の恩義に報いらなくてはならないのに、といった思いが込められていたようです。本多忠勝が天下という結果が出ても変わらず忠臣として生きたように、蜻蛉切もどれほど強くなり成果を出しても、武人としてどこまでも突き進んでいく、なんと頼りになる槍でしょう。
そして本多忠勝は辞世の歌以外にも様々な名文や名文句を残した武将でもあります。そんな文武両道なところも蜻蛉切の修行、手紙の品の良さに漂っています。
蜻蛉切の修行
蜻蛉切の修行は当然の如く、本多忠勝のもとへ。しかしまずは修行の許可に対する感謝から始まる手紙、蜻蛉切らしい品性に心温まる。
過去の戦場に混じり、本多忠勝の活躍が誇らしく、同時に身が引き締まる、とすでに自身事として糧を貪る、蜻蛉切の武人の精神がかっこいい。
しかして、蜻蛉切はその活躍を見ていると、胸が締め付けられるようだ、といいます。
本多忠勝は自身の活躍によって徳川の太平の世を築く。
それは自身で自身の活躍の場を終わらせてしまったと言える。
ですが蜻蛉切は、それでも忠誠を保ち続けた本多忠勝を見て
「自分もまた己の存在意義がなくなるその日のために、
主のために戦い続けましょう。」
と。
一点突破
特に「その日のために」という書き方。“その日まで”とか日々の流れに身を任すような書き方はしてこない。刀剣男子としての成果を出し、その先にある未来、不都合とも思える様な未来まで見据えた上でそれでも変わらない忠義の中を邁進する姿。こういう甘えのない意志がまた一段と蜻蛉切を強くします。文章の細部にまで染みるその品性の良さ、武人としての志、慢心のなさは当然、蜻蛉切の体中、指の先まで渡るものでしょう。
そしてこれはまた当然、武将・本多忠勝を尊敬する理由の一つとなって、そしてまた蜻蛉切に戻ってきて本多忠勝に還って……と無限のスパイラルが続いていきます。
こんな蜻蛉切を審神者は見習わなくてはなりません。
とある元旦。正月だーっ!と気を抜いて、ゲームしよーと刀剣乱舞を開いたら一発目の正月セリフで、
「明けましておめでとうございます。正月といえど、だらけるわけにはいきませんな」
といわれたことのある審神者です。頑張ります。
むしろ全人類の心の底に蜻蛉切がいれば、もっと世の中が良くなるんじゃなかろうか、と思っています。
余談
その忠義と自身への厳しさからか審神者から一歩引いているように思える蜻蛉切。修行前はその扱いが丁寧すぎて、一歩と言わず二歩、二歩と言わず三歩、と距離が空いているようでしたが、修行後。
蜻蛉切の“つつきすぎボイス”で(刀剣乱舞にそういうものがあるんですよ)、審神者がもみあげを引っぱる、という会話が聞けますね。これ聞くと「えっ、そんな近くにいたっ!?」って思います。修行をすると審神者との距離をみんな縮めてくれますが、蜻蛉切もそうであったか、と。
おわり
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