数多の武士の愛刀、同田貫正国(刀剣乱舞)

同田貫正国

 元々趣向を凝らしていたり、〝武士の魂〟ともいわれる刀がモチーフとしてもいるので、絢爛豪華なキャラクターが多い刀剣乱舞。そんな中ほとんど飾り気のない同田貫正国は戦うこと以外にはあまり興味を示さない、いってしまえばやんちゃな性格。それは刀のあり方から出た個性でもあります。
 「俺は、同田貫正国。俺たちは武器なんだから、強いのでいいんだよ。質実剛健ってやつ?」 というセリフで登場するとても頼もしい彼は、特に実戦刀として戦いに用いられたといわれ、刀の幅が広かったり、厚かったり、その頑丈さで相手をなぎ倒す。逸話として、本来〝切れ味〟では太刀打ちできない兜にまで深く食い入ったことのある豪刀と言われる刀なのです。
 セリフの端々からも戦うこと以外への興味のなさ、面倒事としか見ていない様子がみれて、部隊の隊長に編成してもため息を漏らし、もう逆に楽しくなってきます。
 そんな同田貫正国にも修行のときがやってきます。


修行

 刀剣乱舞にある修行というシステム。刀自身が歴史の中で縁のあるところや、元の持ち主のところにいったり、自身のあり方やその周囲の遍歴から己を見つめなおし、その過程やその時々思いを三通の手紙で語ってくれます。キャラクターデザインにも変更が加えられ、より豪華な衣装になったり、何かしら思い詰まったものになって帰ってきます。


同田貫正国の修行

 それは他と比べて少し変わったものになりました。なぜなら同田貫という刀は実戦刀として、広く戦乱に用いられた刀だったからです。修行で向かう元の持ち主がたくさん存在し、その集合した思いが宿ったのが同田貫正国という刀剣男子として存在していました。
 手紙でもそれをそのまま「面倒なことになってる」と伝えてきます。さすがの一貫性。そんな風に思っていた私を最後の手紙で見事に斬り伏せてくる。
 同田貫正国はたくさんの持ち主を見てきたといいます。斬ったり斬られたり、使わず所持するだけだったり、しかしその中で共通していることがあった。それは同田貫の強さに惚れ込んでいたということ。その思いを〝面倒だ〟といっていた修行の中でしっかりと見つけます。かっこいい。
 「刀工の名前でも、見てくれの美しさでもない、使った時の強さ」、自身が自身であるために「とことんまで強くなきゃいけない」といって同田貫正国は修行から帰還します。


一点突破

 そんな同田貫正国が、どうなっているかなと期待に胸を膨らませる。しかし予想を超え、ほぼ黒だった同田貫正国のデザインは、まっ黒になっていました。
 元々修行前から全体が黒かったのですが、逸話にあった兜をアイデンティティのように腕に抱えていたのに、それすら手放していました。そしていいます。
「強くあればそれだけで十分に価値がある」 なんと大きくなって帰ってきたのでしょう。見てくれに価値がないなんてわざわざ口にする必要すらない。逸話より、〝それができるだけの強さ〟という価値に全力になった姿を見せてくれます。
 言葉の端々も大きく変わりました。隊長に指定しても、 「俺が一番強いから隊長にしてくれた、ってことでいいんだよなあ?」 とやる気満々。
 ここに個人的な一点突破あります。 このセリフにこもった思いは〝感謝〟なんだと個人的に思うわけです。
 私の中では、〝あんたらの目に狂いはなかったぜ!〟と元の主たちに向かっている同田貫正国が見えるのです。

 修行前には、自分には見てくれの良さはなく、強さが彼のよりどころのようでした。だからか逸話はその証明として重要なものだと捉えていたのでしょう。
 しかし彼は修行にいくことで強さの先にあるものを見てきた。それはたくさんの主たちの自身に向けられた思い。同田貫の強さに対する信頼は、彼のアイデンティティの土台を 大きく支え、それだけの思いが詰まった土台の上で半端はできない、と同田貫正国は思ったのだと私は思います。
 なんとかっこいいことか。ただの戦大好きやんちゃ坊主のようだった同田貫正国がこんなになって帰ってくる。
 修行って本当にいいものです。(修行前も好き)


余談

 同田貫正国の魅力はまだまだたくさんあります。実は内番を真面目にこなしたりする 一面とか、馬装備ボイスとか(!)、「ありがとサンクス」とか。(ありがとサンクスに関して、同田貫は海外貿易のためにもよくもちいられ、海外に渡航歴のある同田貫もあったみたいで、 そこでサンクスなんて言葉を覚えてきたんじゃないかと書き込まれているのを見たことが あって、ほぇ~となった。某掲示板にて)
 たくさん合戦上に出向いたりしてその良さにふれてもらえたらなああああ、と思います。

おわり

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