元牧師の追求、チャールズ・ジェイコブス(心霊電流)

 牧師として町にやってきたチャールズ・ジェイコブス。人当たりもよく、敬虔でもあるジェイコブスは、美しい妻と可愛らしい息子とともに、人気者となり町の信者たちにとって申し分ない牧師として受け入れられていました。ジェイコブスは趣味である電気の研究に熱心で、聖書の一場面を電気仕掛けのジオラマで再現して子供たちを楽しませたりと、精力的な活動を行い主人公家族との距離を縮めていくことになります。特にジェイコブス赴任当時6歳の主人公は、分け隔てなく接してくれるジェイコブスを初めてできた大人の友達として認識。稲妻の神秘性を説かれたり、ジオラマの見学などで親睦を深めていきます。そうして三年が過ぎた頃。ジェイコブス牧師に悲劇が訪れます。
 町の急カーブが連なる道路を運転中の奥さんと息子が事故にあって亡くなってしまいます。悲嘆に暮れるジェイコブス牧師。牧師として申し分のない働きをみせていたにも関わらずこの運命の仕打ち、町のみんなはともに悲しみながら、しかしできることはありませんでした。ジェイコブスの悲しみの姿はそれほどのものだったのです。
 悲惨な事故からひと月ほど、感謝祭の説教で久しぶりにジェイコブス牧師が登壇することになりました。町の人はジェイコブス牧師の復活を喜びましたが、しかしのちにその時の説教は〝惨憺たる説教〟と呼ばれ、その日を境にジェイコブス牧師は解任され、町からも去ることになりました。
 説教は通常通りの始まりを見せ、安堵する町の人々。しかし次第に方向がずれていき、途中からは悲劇的な運命の事例を挙げ連ねるものになっていきます。信者が集まる教会が崩れ多数の死者がでた事故や、溺れる飼い犬を助けるために川に次々飛び込んで死んでしまった家族の話など、いくつもの事例を出しながら宗教の矛盾と未熟を揶揄し続け、信者たちは裏切られたと感じる人もいれば、優しかった牧師が壊れてしまったと泣く人もいる、終盤にはほとんどの信者がその場を立ち去っていました。そしてジェイコブス牧師は降壇しました。


大切なものを失ってしまったジェイコブス

 それまでは聖書の言葉を信じ、そこから人々の支えや幸せを見いだし生活していた牧師は、愛する妻と息子を失い、その生活すらも失っていました。
 主人公が大人へと成長し、なおかつ交通事故での痛み止めの薬を発端に薬物中毒になってしまった頃。たまたま訪れた町で、ジェイコブスは電気を使ったショウ〝稲妻の肖像写真〟をしていました。ジェイコブスは電気の研究を続けていました。破壊する力、治癒する力、まだまだ理解の及ばない不思議な力、と大道芸のように声を上げお客を集めるジェイコブス。
 再会を喜びながらも薬物中毒を見抜かれた主人公に、ジェイコブスはそれを治してあげよう、と誘いかける。ジェイコブスの作業場に行き、謎のヘッドホンを付けさせられる。それはジェイコブスが開発した電気の力で脳を刺激し治癒を促す装置だそうだ。主人公は訝しみながらも、薬物によって限界を迎えようとしている体とを天秤にかけ、言う通りにしてしまう。しかし不安とは裏腹。その装置のおかげで極めて深刻な中毒状態から脱することができました。主人公は自分の体調に喜びながらも、謎は残る。ジェイコブスの仕事の手伝いをしながら、時々起きる不可思議な現象、後遺症に悩まされる。


ジェイコブスの研究と物語の核心

 牧師をやめたあと、町を離れてからジェイコブスは研究に没頭していました。
 研究の対象はキリスト教が(物語の中で)禁書としているもの、そして電気、稲妻。キリスト教に都合の悪い事実に満たされる禁書を読み漁ったジェイコブスは、電気こそが真実にたどり着く鍵になると信じて研究を続けていきました。それは〝神秘なる電気〟と呼ばれ、これこそが破壊する力であり、治癒する力、彼の望む未知への鍵となりました。
 彼の電気はどんな病でも治癒する可能性がありました。主人公もその力で薬物中毒から逃れることができました。しかしそれはただの実験でした。〝神秘なる電気〟がもたらすものをジェイコブスは執拗に観察し続けます。それには数も必要でしたが、しかしそこに苦労はかかりません。病に苦しむ人はいくらでもいました。主人公は全快して離れますが、その後もジェイコブスは研究を続け、いつの間にか神の使いとしてパフォーマンスまでするようになっていました。金が集まります。それはより研究に没頭できることを意味します。大体の病気はどんなに深刻でも治すことができました。そして経過を観察し、治療されたものは幸福を手にして去っていきました。
 しかし何人かには後遺症が残ります。幻覚を見るものもいます。謎の言葉を発するものもいます。時には自殺するものもいましたが気にもとめず、それらの結果を集めたジェイコブスは禁書との研究結果から得た確信として、死後の世界と、そこに存在するものについての知識を広げていきます。
 彼が何を考えていたのか。
 それは亡くなってしまった妻子の事でした。


一点突破

 彼の研究には多くの犠牲が伴いました。自殺者は増え、最後には凄惨なエピローグとして牙をむきます。そこまでの事を予測していないジェイコブスはむしろどんな難病にも効果のある〝神秘なる電気〟を賜ったのだからいいじゃないかと思っています。実際に、治った多くの者たちは彼に感謝を惜しみません。しかしそんなことは彼にとってどうだっていいのです。そこがジェイコブスを非道なものとします。
 治ったものも後遺症に悩まされるものも、自殺したものもどうでもいい。ジェイコブスにとって彼らはただ目的に向かうためのモルモットであり、ただの資金源でしかありません。そしてその証明にジェイコブスは自分自身に〝神秘なる電気〟を使用しませんでした。

 ジェイコブスはいわゆる〝闇落ち〟したキャラクターです。もうこちらの論理は通用しません。生きる世界が違うのです。今自分たちの生きる世界とは違う論理と法でできた世界でジェイコブスは生きています。
 しかし単純なキャラクターとして終わらないのは、彼はキリスト教的神への反抗を選んだこと。妻子の交通事故はトラックとの激突で、相手方の運転手(町の住人)はしっかりと高齢まで生き残っています。しかし呪いがそちらには向かない。無差別な人間への攻撃なんて行為にも及ばない。むしろ興味を完全に失ってしまっただけ。そして宗教を否定し、その否定の先にある真理で妻子に会うことを期待していただけなのでした。人生をただそれだけに賭したのでした。

 この物語の悲劇はジェイコブスにとって大切だったものが、根こそぎ奪われてしまったことでした。妻子と宗教。町の住民や人類、自分自身の人生は、きっとそれに紐づいただけの大事さで、真の根っこだったものを引っこ抜かれた時に同時に必要性をなくしてしまっのかもしれない。
 そして残った〝電気〟に傾倒してしまう。
 スティーヴン・キングの物語ではよく〝信じる力〟が大切に扱われ、アウトサイドに存在する〝IT〟などと戦う時の力の原動力になったりします。
 もしかしたら死後の世界、扉を開く鍵は電気でなくてもよかったのかもしれません。ジェイコブスの場合がそれだっただけで。そう思うと、なおの事ジェイコブスに残ったものが〝電気〟しかなかったのだろうと、そして物語の終盤には老齢となっていましたが、それでもまだずっと貫けるほどの想いが妻子に向けられていたのだろうと思いました。
 マッドサイエンティストですけどね。

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