今回はSKET DANCE(スケットダンス)。
個人的に、もがきながらも何とか自己が形成されていく感覚だった頃に現れた作品でした。苦しんでた時期にこういう作品に出会えるというのは、本当に感謝です。
そして主人公のとても大事な部分に思いっきり触れるので、
スケットダンスを楽しみたい人は、
読んではダメな奴(楽しんでほしい)
SKET DANCE(スケットダンス)
自由な校風、開盟学園。そこには人助けを目的とする部活、学園生活支援部があった。スケット団と名乗り、リーダーの藤崎佑助(ボッスン)、パソコンの音声のみで会話をする笛吹和義(スイッチ)、紅一点の武闘派である鬼塚一愛(ヒメコ)の三人が学園のトラブルを何でも解決!といいつつ、基本はコメディ。作者様いわく、「まったり学園コメディ」。
しかし漫画として何がすごいかって、この漫画コメディやるときは思いっきり笑かしにかかるけど、人助けの時は思いっきり熱いし、ハッとするようなミステリーな回があり、少しずつ熟れていく恋愛を描いたりするし、そしてちょっとトラウマになるようなシリアスな場面がある。
こんな振り切り方をしながらよく三十巻以上も続けた作者・篠原健太先生の体力がすごい。漫画家ってすごい。
スケット団の三人には三様、それぞれに過酷な過去があり、それぞれの強さがあるところも魅力的。様々なキャラクターも出てきて、実験的な回があったり、作者様がけっこう読者の反応を気にかけているコメントなんかもコミックスでは見られますが、全然気にせずトラウマぶっこまれたりもします。そこが読者もですが、登場するキャラクター達を大事に思ってくれているんだ、と読んでいて伝わってくる。
藤崎佑助
スケット団のリーダー。生活支援部を立ち上げた張本人で、優しく、絶対に人を裏切らない熱いやつ、というだけでなく、ときにはふざけて、卑屈でどうしようもないことも。手先が器用で、ゴーグルを装着した時の集中力は人並をはずれ、その状態での推理や作戦の立案はスケット団の活躍で欠かせないものである。集中力はパチンコを使った的当てや射的にも効果的で何度も窮地を救う。そして時には照れや引っ込み思案なところが爆発し、窮地に陥ることも。
と人間として、相反するようなものを両方備えながらなボッスン。器用だったり不器用だったり、誠実だったりふざけていたり、達観していながら子供っぱくなったり、そういうう人間味がボッスンのボッスンらしい良いところでしょう。
しかしなにか一つ、たった一つを選ぶなら何だろう、考える。優しいとか、面白いとか、色々出てくるけど、私の中では〝頼りになる〟が一番。それがなんでなんだろう。
ボッスンの根源
ボッスンは何故、生活支援部なるものを立ち上げたのか。それは過去にあります。
ボッスンは母と妹の三人暮らし。自分の父は子供を作っておいて居なくなり、母は別の人と結婚するも妹が生まれたあとに離婚。自称男運のない母と自分を使役してくる妹と仲良く暮らしていました。
話は二年前に。
ボッスンはある日ビデオテープを発見します。そこには自分の父親だろう思われる人物が映っていました。若かりし頃の母と、たぶん父、そして仲よし三人組のもう一人、とてもきれいな女性。三人の日常をうつすそのテープは9巻まで続きますが、途中で母にバレて隠されてしまいます。
不審に思ったボッスンは母の写真アルバムを眺めます。そこで一枚の写真を発見。それは自分が生まれる直前の母の写真。しかし妊娠しているはずの母のお腹は自分を身籠っているとは思えないものでした。ボッスンはそれを母に言及します。
「母ちゃんは…ホントにオレの母ちゃんか?」
そして母は真実を語りました。
自分はボッスンを生んだ母親じゃないこと。写真やビデオに写っていたもう一人の女性が本当の母親であること。しかし陣痛が始まった彼女は病院へ向かう途中事故に遭い、ボッスンは生まれたが亡くなってしまったこと。そして電話で陣痛が始まったことを伝えた父も、喜び勇んで病院に向かう途中、事故に遭い亡くなってしまったこと。
ボッスンは受けとめきれません。家を飛び出し、混乱する頭で彷徨い歩き、朝目覚めたのは公園のベンチ。ボッスン15歳の誕生日でした。
そしてまた街を彷徨い、気付けば父が死んだ事故現場へ。混乱はぶつけようもない怒りに代わり、たまたま公園にいた不良と喧嘩をすることに。三人に囲まれ殴られながら、道行く人はこちらを見ないように通り過ぎていく。
そして青年が止めに入る。不良は去っていき、改めてボッスンを見た青年はあることに気づく。自分は15年前のこの場所で事故から助けてもらった、と。ボッスンの父親は病院に急ぐ途中、少年を事故から救い、代わりに車に引かれて命を落としたのでした。その時、事故から救われた少年はボッスンの父から紙袋と、
「困ってる人に手を差しのべられるような強い人間になれ」
という言葉を受けとり、それに恥じない人間になれるよう生きてきたこと、そして毎年命日に紙袋を持って公園に来ていたことを伝えました。
紙袋には誕生日だった母親へのプレゼントと手紙が入っていて、その手紙には生まれてくる子供へのメッセージも書かれていました。
愛と優しさに満ち溢れた言葉、人を救って、でも勝手に死んでしまった父に対して冷めきった自分と、やっぱり誇らしく思ってしまう自分。
それでも「人助けなんかクソくらえだ」と叫び自分のためだけに生きると宣言するボッスン。
しかし土手を歩いているとまた不良たちが暴れているのを見つけます。やられているのはボッスンが絡まれていたのを見ないようにしていた学生でした。ボッスンは自分一人で生きていくんだ、と通り過ぎようとします。
しかし自分を助けてくれた青年を思い出します。その先には父がいて、父の手紙のメッセージが頭をよぎります。
「困っている人がいたら通り過ぎるな。」
ボッスンの父への怒りはまだ収まっていません。しかし足はかけ出し、不良の前に立ちふさがります。そして、
「聞こえるかクソ親父ィ!!めんどくせえけど受け継いでやる!!聞こえるかァ!!!!」
と叫ぶのです。
不良にはぼこぼこにされます。
しかし学生から感謝と「キミに勇気をもらったおかげでボクももう少し強くなれそうだ」という言葉を聞いて、人を助けることの意義を感じ取りました。
家に帰るボッスン。心配を隠さない母へ、血のつながった子じゃないという不安をさらし、関係なく温かく包まれるボッスン。悲劇はあったけれど「オレは本当にラッキーだ」、と思い至るボッスンは晴れやかに、母の抱き続けた思いも受けとめ、亡き両親に15になったことを伝えまして、ボッスンの過去終了。
一点突破
私はこの漫画を読んでいてボッスンのことをどこか心配していました。〝人助け〟にのめり込むことを危険だと思う自分がいたのです。
なぜかというと自分自身が人助けにのめり込んだ時期があったからです。たくさんの相談にのり、いつの間にか知らない人が相談に来たり、夜中泣きながら電話がかかってきたり。それでももっと人を助けられるはずだと思って、考えたのは自分を殺してしまうことでした。それは無宗教で無知でありながら仏になろうとするような行いでした。しかし心は段々とすり減っていたようで、加えて小売店で働きながらちょっと醜すぎる人間をたくさん見て、そしてそれと大差ない自分をたくさん発見して、殺そうとした自分がどうしようもなく膨らんでいくようでした。人の相談にはのりながら、一人になるとよく吐くようになって、加えて文学の暗いほう暗いほうへと進んでいき、気付くと完全にこじらせた人間が出来上がっていました。
人間はしょうもない、とイラついて、そんな人間という総体を助ける必要があるのかとか、助かるべき人間と助かるべきじゃない人間がいるとか、そんな風に考えながら、でもそのしょうもなさの集合体が自分だという自己嫌悪や原罪意識に追われる日々でした。
この人生の流れが〝人助け〟にのめり込んだことにあったと思って、ボッスンを勝手に心配していました。
しかしボッスンの根源にあるもの。もちろんいい両親から生まれ、とても大事に育てられて今も見守ってくれる母がいる。それらを裏切るわけにはいかない、という思いも父の残してくれたもう一つの言葉、「人に裏切られても自分は絶対裏切るな」を継いでいる。
でもなにより思うのは、ボッスンは嬉しかったのかなと。子どもを身籠っている母を残して去っていったと思っていた父。それが実はこんなにも自分を愛してくれていたということを知りました。手紙で実際その声を聞いて、混乱の中で怒りが瞬時に消えたりはしなかったけど、その時の強烈な喜びがあったのだと思います。その喜びと、しかし会えはしない寂しさがボッスンの根源にあるように思いました。
もちろん命をかけて生んでくれた母も、育ててくれた母も、全部ひっくるめて、
「オレは本当にラッキーだ」
というボッスンの言葉が染みるものであります。
余談
スケット団のライバル、ボッスンのライバルこと生徒会副会長・椿佐介の過去にも重大な秘密があります。椿本人がそれをたまたま知ったのが物語の二年前(本人談)。そこにシンクロニシティをぶち込んでくるあたり、さすがの作者様をいわざるを得ないのです。これもキャラクターを大切にしてくれているからこそ。素晴らしい。
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