ヘルマン・ヘッセ
本を読んで一番共感が湧いて、良い本を書く作家だと思えるのは、その人が自由を愛していることであります。それを強く感じられた作家の一人がヘルマン・ヘッセ。ノーベル文学賞までとって素晴らしい作家なのは全世界が認めるところですが、特に有名な「詩人になるか、でなければ、何にもなりたくない」という言葉もまた、彼の自由への渇望が表れていてとても味わい深い。
そんなヘルマン・ヘッセの自伝的小説。
車輪の下
天分を持って生まれたハンス少年は、「国家」が地方の秀才を選ぶ「州試験」を受けることになります。頭が良く、親が特にお金持ちでもなかったら他に選択肢はなく、その先には神学校、牧師、と逃げ場のない筋道が待つだけでした。ハンスも例にもれず、町の期待を押し付けられ、学習生活にとらわれてしまいます。
しかも彼はそれに背くことなく、むしろ安らぎの時間までも自ら学習に打ち込んでしまい、心を消耗させていきます。お世話になっている人々からの期待、抱える不安が常に彼を蝕んで、〝もしも落ちたら……〟と父に話しても〝なんてこというんだ!〟と激しく叱咤される始末。
そんな生活を続けながらも、ハンスは努力を続け試験でいい成績を上げ、神学校に進むことが叶いました。町の人々は喜んでくれ、父からもひとしおにご褒美として釣りを楽しむハンス少年。
しかし神学校が待っています。修道院での寄宿生活はより厳しくハードなもの。規則でがんじがらめにされ、学習は永遠と思える。同じように集められた少年たちと暮らしながら、そこで一人の少年と仲良くなります。詩を愛し、美しい景色を愛するその少年に引かれたが、努力家ハンスはその風変わりな友人と自分の辿るべき道筋とでまた思い悩む。その友人は確かな才能を持ちながらも、単純に規則に従うようなことはせず、その為に罰まで受けるような少年だったが、しかしハンスはこの友人関係を必要とした。
誰もが避けるようだったその少年との友好の噂を聞き、校長先生はハンスにそれを「悪い感化」という。ハンスはそれでも友情を捨てることはなく、それが勉強に悪影響を与えているのは気付きながらも、「むしろ、いままで取り逃したすべてのものを償う宝」とした。しかしどんどんと窮屈になっていく生活。勉強もやっとくっついていく程度。奔放な友人と仲良くすることで、周りは白い目ばかり。
そんな中友人が学校から脱走し、とうとう放校処分となってしまう。一人になってしまったハンス少年にはより厳しい目が向けら、一人の先生には〝なぜ君は一緒に脱走しなかったんだ?〟と当てこすりのように問われた。しかしハンスは脱走の計画など知らなかったし、このような状況に独りで耐えることはできなかった。ハンス少年の心は病み疲れついに学校を出ることになり、父の住む実家に帰っていった。
一点突破
展望の一切を無くしてしまった。父を裏切り失望させてしまったことをハンスは悩んだ。しかも精神薄弱を起こしてはいるが、父は心配しながらも探るような目を向けてきてよりふさぎ込んでしまう。
そんなとき慰めてくれるのは死への思い。毎日のように浮かぶその思いと親しみ「とうとう快く死ねそうな場所を見つけた」。
「なわをつるすための枝もきめたし、その強さもためした」
そうして死ぬことを決めてしまうと、
「彼の心によい影響を及ぼした」
「例の圧迫が去って、ほとんど喜ばしい快感に見舞われる時間をすごすことができた」
この状態のハンスを見て父は回復したのだと喜んでいた。しかし死ぬと決めたことで得た状態に父が喜んでいることを、「皮肉な満足をもってながめた」
という文章。
これを読んだタイミングがとてもよかった。
私もふさぎ込んでどうしようもなくなったある日。そんな日は何度も使った手〝もう誰も信じない〟と延々、2時間も3時間も呟き続けて心をおさめていたが、それもどうも効果が出ない。さすがにやってられない。さすがにこんなん〝生きてらんないよ〟、と思ったときに〝よし、明日死のう〟と決めたことがありました。ハンスほど具体的ではなかったですが。もう本当に切羽詰まった状態にありました(なにがあったわけではないのですが)。しかし死ぬことを決めた、と思うとそこから自然に笑顔を作ることができたのです。それまで(実はコンビニでのアルバイト中でしたが)生きてるんだか死んでるんだかわからないようなゾンビが、模範的なコンビニ店員に変わった瞬間でした。この時の驚きが大きく、当時バンドをやっていた私は「灯を風前に」という歌詞まで書いてしまう始末。しかしその後も1、2度同じ手を使いましたが、実際死ぬことはありませんでした。
そしてそんな体験の直後にこの本を手に取りました。何も知らない読書仲間から〝これきっと合うと思うな〟と言われて。読んでみてこの文章までたどり着いた時の驚き。「わかるわかるーっ」って正直に思いました。
ヘルマン・ヘッセは、
「なぜずっと前にあの美しい枝でくびれなかったか、それは彼自身にもよくわからなかった。が、考えはきまっていた。彼の死は決定した事柄だった」
と書きます。
死ぬと決めたことと、しかし実際は死ななかったこと(生きていること)は矛盾でなく、もちろん偽りでもない。個人的によく考える文学観に、〝1-1〟がある。〝=〟を付けると〝0〟になってしまうけど、〝1-1〟には〝=0〟にない味わいがあると信じている。
このヘルマン・ヘッセの文章にもそんな味わいがあるんじゃないかと思っています。文章に対する乱暴はよくないものね。
余談
その後町の就職先なんかに少しずつ馴染んでいくハンス少年ですが、最後。
ハンスは川に落ちて死ぬことになります。あの時の印象って人によって変わるのかしら。私の個人的な感想は、川に落ちたのは事故だろうと思うのですが、意識があったとしても決して死に抵抗しなかったんじゃないかと思ってます。しかし死を受け入れるというよりも、〝生きるという選択〟も〝死ぬという選択〟もしなかっただけのような。なので受動的自殺というより自然死、しかし生命が生命にしがみつかないことなんてあるんだろうかとも思って、最終的には〝消極的自殺〟とでも呼びたい。でも他の人はあれを何と呼ぶのだろう。
おわり
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