きみの声をとどけたい

 「キミコエプロジェクト」という企画から始まり、オーディションで選ばれた新人声優さんが出演している94分のアニメ映画。キャラクターデザインの奇抜とはまた違ったオリジナリティ感が気になって見てみたものでした。


あらすじ

 コトダマ、本気のコトバが現実になる。幼少の頃、祖母にそのことを教わると、本気のコトバに宿る力がシャボン玉のような形で実際に目で見ることがあった。
 そんな主人公は高校生になり学校での憂さを抱えた帰り道、突然の雨に降られ、通りかかった廃墟の扉を開けると中は喫茶店のよう。誰かいないか声をかけながら奥に進んでいくと、ちょっとしたラジオブースを発見し、主人公はラジオDJの真似事をしながら友人との会話で口に出せなかったことを発散させました。
 そこはミニFM放送局という狭い地域にだけ声を届けるラジオブース。いじってみて作動していないと思っていた電源が実際は活きていて、そのラジオブースの管理者まで声が届いてしまう。病室に置かれたラジオ。しかし元出演者は目を覚まさず、病室のベッドで寝たきり。ラジオを耳にしたのは主人公と同い年、お見舞いに来ていた娘さんでした。
 その昔ラジオDJをしていた母を思って、ラジオを使って声を届けようとする娘に〝コトダマ〟を信じる主人公が手を貸して、友だちの力も頼り頼りラジオを盛り上げていく。


現実とファンタジー

 このアニメ映画は、企画から一貫してテーマが決まっている。コトダマというファンタジー。そのファンタジーが普通の女子高生の日常の中でどうかかわっていくか。様々なキャラクターが関わり合いながら物語は進められていく。
 94分の映画は、長大でもないし、でも短編映画ともいえない。
 そんな長さの映画の中で、主人公のコトダマを視認する部分がさらっと描かれているのが良くて。あまり長い映画となったら現実感が出すぎて、浮いた描写になったかなとも思える。主要キャラクターが6人いて多いように思えるけれど、みんな適度にキャラ立ちしながら、役回りがぐるぐる回る。
 しかしまぁ意図的に説明を省いていると思える部分も多く、それはテーマに特化した物語作りのためかしら。ノベライズ版には数々の詳細が描かれていて、アニメ映画と小説の表現の仕方には違いがあるのだ、とこういうのをみると発見できて楽しい限りです。(予算の都合とかなら全然わからないところですが……)

 しかしまぁ言霊というものには、考え方、捉え方がいくつかあるように見える。単純な肯定と否定という意味だけじゃなく、ただの力としてだったり、もしくは無遠慮に言うと実現の保証のように使ったり。考えていくとぐるぐるどうどう巡りをしてしまいそう。
 言ってしまえば、結局発せられた言葉それぞれに差分があるというよりも、受け手の反応の仕方、受けたダメージによってそれを力と呼ぶかどうかは決まるものか。
 でも実際に発せられた言葉に込められた思いの度合いを無視したくない、とまたどうどう巡り巡る。
 そんな中、声優の林原めぐみさんへのインタビュー。役のセリフで、生身の自分だと至らないような考え方を目の当たりにして、
 「そんなセリフを発するときに、そういう自分じゃなきゃいけないから。そこまで自分の内側の、脳のメンテナンスをして、自分の思考をそう持って行かなきゃいけない。そんなふうに考えてないのにセリフをいったら、嘘になっちゃう。腑に落としてからセリフを声にすると、「言霊」になって、自分にもちょっといい催眠術をかけてくれる。私は、自分が本気でいった言葉って、そんなことがあると思っているんです。」
と、実際に生身の自分まで変わっていくのを感じ、自身の作詞活動にまでいい影響を与えてくれたようです。発することと受けることを同時にこなしていきながら、言葉に言霊がのっかる実感が、本気で言葉を発する人たちには確かにあるのだと思った次第。素晴らしい。

「きみの声をとどけたい」
 たまに倫理観がバグってしまうところもあるけれど、特別じゃない女子高生の夏休みの頑張りと奇跡です。
 体力をどっと奪ったりされることなく、ふわふわっと大事なところを届けてくれる。

川袋電気店いいお店。

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