教誨師として生きる、佐伯(教誨師)

映画「教誨師」

 死刑囚の元を訪れる牧師。そして登場する、様々な境遇により罪を犯し、死刑を宣告された6人の死刑囚。
 〝彼らが自らの罪をしっかりと見つめ、悔い改めることで残り少ない“生”を充実したものにできるよう、そして心安らかに“死”を迎えられるよう、親身になって彼らの話を聞き、聖書の言葉を伝える〟
 一人一人を相手に代わる代わる、熟々としていく会話。繰り返していく面会の中で、6人の死刑囚それぞれのストーリー、罪への意識と死という罰。
 主人公が教誨師という自分の役割と業を背負いながら、生きるとはなんなのかを見出そうとする、映画。


佐伯

 作中の主人公。教誨師として死刑囚たちと面会を重ねる。様々な会話の中で感情をあらわにしたり、自問自答がありながらも、その役割に徹しながら、自分の過去とも向き合っていく。
 少年の頃に兄が人を殺していた。しかし実際は現場で自分がそれを行う寸前だった。寸前で自分は止めた、そこに兄が手を下し殺人罪で捕まった。兄は出所間近というところで自殺する。
 佐伯は死刑囚との面会をしていく中で、そのことを度々思い出す。そして罪の意識か、もしくは幽霊(?)として現れる年少の兄との対話がある。
 〝自分が殺したかもだった〟〝でもやらなかった、それで十分〟という対話。
 〝なぜ死んだか〟〝なぜ生きるのか〟という対話。
 〝逃げたきゃ逃げ〟〝いやや〟という対話。
 そしてこの対話の直後、
 死刑囚の一人、高宮との面会が始まる。


佐伯と高宮の面会

 屁理屈を重ねながら佐伯をけむに巻くインテリぶった高宮は、障害者を大量殺人して死刑囚となりました。
 自己肯定ばかり続けて、罪の意識を感じさせない。そんな高宮と佐伯の対話。
 教誨師も、ボランティアも、大きく物事を変えることはできないけれど、偽善自体の美しさがあると伝える佐伯。
 しかし続けてばかりで変わらない世界の虚しさに、そんなんほっぽり出してしまおうという高宮。
 〝生きるのは辛いけど、それでも何故か生きたいと思うじゃないですか。それに近いかな〟とやめない佐伯。
 では教誨師という役割はなんであるかという佐伯の自問自答の答えは「あなたのそばにいること」。
 佐伯はそれを〝知ること〟という。高宮が怖かったと打ち明ける佐伯。
 なぜ怖かったのか、それは知らないからだと気付いた。
 死ぬことも怖い、生きることも怖い。怖いから余計に知りたくない。
 でも教誨師である自分は高宮を知りたいと思う。
 しかしそれは〝理解する〟ことではないと佐伯はいう。
 〝穴を見つめること〟
 穴をあけないようにするわけでなく、
 穴を誰があけたのか問うことでもなく、
 あいてしまった穴のそばで、決して逃げずに、じっと、見つめることなんじゃないか〟
 高宮が告白する。自分の行った罪で世の中が変わると思ったが何も変わらず、もう生きていることにも意味がないんだ、と。
 しかし佐伯は〝今生きていること〟、を強く伝える。そしてそんな高宮から自分は逃げない。神なんて関係ない、自分はそばにいる。だから高宮も〝高宮自身〟〝佐伯自身〟〝殺してしまった人たち〟に寄り添ってくれないかと問う。


一点突破

 面会の終わりに二人はメリークリスマスといいあいます。
 ここに佐伯の教誨師としての役割の神髄があったのだと思います。
 クリスマスとはキリスト誕生のお祝い、高宮は自身にその姿の表れを感じたのだと。〝神なんて…〟と話してしまった佐伯は自身を〝聖職者としては失格かもしれませんね〟とも話しますが、しかしその佐伯に胸を打たれた高宮にとってはこの上ない、教誨師であったはずです。

 最後、一人にだけ死刑の執行が行われます。それが高宮でした。
 彼はそれまでと一転、動揺のるつぼにあるようでしたが、その状態で佐伯に抱きつき一言話します。しかし、これが映画では無音。あるのは佐伯の返事だけで、それが
 〝高宮さん、私もあなたのことを知ることができて、感謝します〟
 という一言。
 いくつもとり方のある言葉。高宮がなんといったのか、その中で私は、
 〝最後に自分の罪を知ることができたのは、あなたのおかげだ〟というセリフにしたい。
 罪への意識を持つことが救いとなりうるのか。それはわからないけれど、高宮の〝メリークリスマス〟には価値があると信じたい。

 佐伯のいう生きる、生きたいには〝行きたい〟という意味を感じる。進むこと、どこかに向かっていることど、どこかを向いているだけでも。
 兄との対話の中で〝逃げたきゃ逃げ〟と問われ〝いやや〟と答えた佐伯。
 彼が教誨師として〝行きたい〟ところ。彼の〝生きる〟。
 ただそばにいることを選んだ教誨師をまだまだみていたいけれど。


余談

 これは主演の大杉連さんの遺作となってしまいました。すごい熱量でもって作られた作品だということがみていて伝わる映画。他の死刑囚との一対一の、俳優同士のぶつかり合いも見どころの一つ。
 特にこれでは高宮とのやり取りを話しましたが、他の五人の死刑囚とのやり取りも考えさせられることが多く、そして佐伯自身にも謎を多く残したまま物語は終わります。
 何度見ても謎は謎のまま、自問自答が尽きることのない映画。

も一つ余談
 執行直前、黒い袋をかぶせられた高宮が。思わず「あれ?」と呟く。これあんまりにも自然すぎて、ゾッとする。脚本にあったのかなぁ、あったとしたら脚本家がすごいし、アドリブでやっていたら俳優さんがすごいし、どちらにせよ気味が悪いほどのリアリティでした。脱帽

おわり

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