いたいけ100%小夜左文字(刀剣乱舞)

 というわけで今回は刀剣乱舞から、我が本丸で取得経験値が1位な小夜左文字。
 刀剣乱舞を始めて何もわからぬまま、それでも一番最初に「このキャラ好きだ!」と思った刀が小夜左文字でした。

 刀剣乱舞は刀を擬人化したキャラクターで敵を倒していく、というゲーム。登場するキャラクターのデザインや性格は、その刀の来歴や逸話からイメージ作られております。
 その中で小夜左文字、なかなか重い逸話を背負って顕現しております。


小夜左文字の逸話

 小夜左文字は、復讐に使われた刀と言われています。
 強盗に襲われ、奪われた刀と母の命。息子は母の仇を討つため、いずれ刀を研ぎに来るだろうと研師に弟子入り。とうとう左文字を持って現れた人間が、強盗を犯した様を自慢げに話したことからその左文字でもって仇を討った。というお話。
 この逸話から顕現することになった小夜左文字は、この復讐の念というアイデンティティを持て余し、自身の身の置き場にすら困惑してしまうほどの心の闇に苦しめられます。しかもこの闇、心のとある一面のようなものでなく、小夜左文字にとってその闇=存在になっている。我思う故に我在り、なんて言葉もありますが、小夜左文字にとっては、我復讐の念湧く故に我あり。この不条理さこそが小夜左文字であります。


小夜左文字の言動

 復讐の念からこの世に顕現する小夜左文字は、戦闘では物騒な物言いが多く、好戦的にすら思える頼れる存在。それと同じく苦しんでいる様子も多く見ることになる。特に突然発せられるネガティブな言葉には心臓をぎゅっと摑まれる。ほんとに心臓に悪い。
 基本は素直ないい子である。他刀とのほっこりとするような会話もあり、心の機微にも敏感で、その繊細さをたびたび見せてくれます。それはアニメの刀剣乱舞花丸でも。
 しかしそのアニメでもやはり小夜左文字は闇に苦しんだりして、本当に心配の絶えないキャラクターです。お守り装備だって〝他の人に……〟とか言うし、万屋でも、、


一点突破

 我が本丸で一番に修行にいったのは小夜左文字でした。初めて刀から手紙なるものを受けとったわけです。その衝撃たるや。デザインも変わり、ますます愛くるしく、頼もしくなりました。

 そして小夜左文字は復讐の念、心の闇をどう処理したのか、です。
 処理というと例えば陽気になるとか、闇落ちするとか、小夜左文字がなるはずもなく(彼は素直ないい子です)、それは〝変換する〟ではなく、
 闇や復讐という思いの、自分がみていなかった〝新たな面を見つけた〟というところ。

 極前の小夜左文字は自身に込められた思いを、受け入れるべきでないもの、人間にとって表に出てきてはならないもの、
 なのに自分はその思いでもってこの世に出てきてしまった、表に現れてしまった、と。それは矛盾というより、やはり不条理さに苦しみ続けていた。
 そしてその復讐の念はいつか晴れていくのか、という自身の途上感、どこか進むべきより良い方向への模索の苦しみもあったかもしれない。
 しかし修行を終えた小夜左文字はその闇があった上で求めてくれる主がいることを知ったのです。自身が嫌悪されるだけの存在じゃないことを知ったのです。(細川幽斎様っ)
 修行を終え、自身の落としどころに新たな発見をしても、それで心が完全に晴れ渡ったわけではありません。いい面を知ったとしても、心を蝕む闇の面を表して戦うのが小夜左文字です。
 これまで以上に温かく接していくこと、感謝と喜びがあると伝えていくことが必要なのだろう、と審神者として思いました。


余談

 不条理といえば出てくるのがカミュの哲学です。そして同時に色濃いのが、〝どちらでもない〟という文学観です。それはAとBの選択肢があるときに、Aという終着、Bという終着、そして3つ目の終着として、AかBかまだ決まっていない、という終着があってもいいんじゃないか、という考えです。
 小夜左文字のことを考えると、よくカミュが頭に出てきます。復讐の念がいいものか悪いものかとか、ないほうがいいものなんじゃないかとか、簡単な二択で決められない。小夜も修行にいったことで、復讐の念が人を生かす(活かす)こともあるといいます。
 どちらかである必要なんかないし、むしろカミュも飛び越えて〝どちらでもある〟と考えてもいい。
 これで小夜の苦しみが減るわけではないのが残念ですが、それはそれで小夜の覚悟なので目を離さないようにしましょう。

おわり

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