〝どちらか〟である必要に追われない、ヨナ(転落・追放と王国)

ノーベル文学賞受賞の文豪、カミュの作品の中で一番好きな短編「ヨナ」なのです。


「ヨナ」のあらすじ

 画家のヨナは、その実力でもって生活を手に入れた。そこに至るまでの道のりにも彼は幸運ばかりを感じていた。両親が自分に無関心だったから夢想の暇ができた、自分が不幸に見えたおかげで心配してくれる友人ができた。努力の必要もなく父の出版社に入ると、そこで絵画に出逢った。他に何も関心を示さず熱中し、頭角を現したヨナは友人と乗ったバイクで事故にあってしまう。しかしそこにもヨナの幸運が待っていた。手には包帯が巻かれ、絵の描けない退屈がのちの妻を発見することになる。妻には献身があり、実務的なものをいっさい引き受けてくれて、画業に専念することができた。
 画業に専念してからも幸運続きだった。子どもができた。妻が子どもに奉仕するため、ヨナは買い物に出かける必要があったが、それは孤独な時間をもたらしてくれた。ヨナの成功は多くの友人ができた。昼間に仕事をする時間が無くなるほど日々人が訪ねてきたが、長い談話は自分に多くの学びをもたらしてくれる。そのあと弟子もついて、多くの人々に囲まれながら、筆を持ったが速度は鈍り、一人になっても疲れがとれない日々だった。
 仕事が捗らなくても彼の声望は上がる。報酬も上がった。多くの人が訪ねて来るが、時間が足りなくて会えない人がいると裏切った気になるし、実際悪評も出てきていた。〝傲慢〟だとか〝自分だけを愛している〟といわれながら、でも画と交流や生活の両立は無理があった。
 育ってきた子どもたちの手間が大きくなってきた。そしてヨナが〝下り坂〟であるという噂が出てくる。仕事が段々と減っていく。何か描くより考え事をする時間の方が増えていく。ヨナは新しい方法を模索して家の様々なところ描こうとするけれど、どこでも人に逢うことで悩まされた。アルコールに手を出し、外に出れば人を避けて逃げだした。そして場末にいって不貞をはたらいた。
 そのことに気付いていた妻は悲しみをみなぎらせてヨナの前に立つ。ヨナははじめて胸が裂かれるような想いがして、赦しを求めた。〝明日からはすべて昔のようにやり直しだ〟と、ヨナは狭い廊下と高い天井の間に奥に長い中二階に屋根裏部屋のようなものを作った。その中にいればもう誰にも邪魔されることはなかった。
 誰が来ても関わりがないと思った。自分の中の秘密を摑むためにランプも消した。毎日屋根裏部屋にのぼり、食事も持ってきてくれと頼むようになっていった。ある晩から毛布を持ち込んで夜も降りてこなくなった。ほとんどおりてこないヨナ。そして訪問客もいなくなり、訪ねるのは始めにできた友人だけだった。
 ある晩、一枚のカンヴァスをとり出す。ここ数日何も食べていないことを友人も家族も心配している。しかしヨナはランプをつけ仕事にとりかかった。
 二日目の朝、彼は音もなく倒れた。カンヴァスは全然白のままだったが、
 〝その中央にヨナは実に細かい文字で、やっと判読できる一語を書き残していた〟


一点突破

〝が、その言葉は、solitaire(孤独)と読んだらいいのか、solidaire(連帯)と読んだらいいのか、わからなかった〟

 と終わる短編「ヨナ」。初めて読んだとき、やられた!と思った。
 そのむかしバンドを始め、ちょいと本気を出そうと書いた「小魚の群れ」ができあがったあとだったか。あとから段々と自分の書いたものの意味が解ってきて、孤独な人と孤独な人の互いの〝孤独という共通項〟について考えながら、
 何の本だったか、芸術には矛盾を取っ払う役割があるというようなことが書かれていたのもあって(なんの本だったか思い出せないのがとっても悔やまれ)、
 孤独とその対義語、それが合わさる矛盾についてもよく考えていた頃でした。
 孤独の対義語についても、決まったものが見つからない中、ヨナを読んでの〝孤独と連帯〟(孤独感と連帯感と書いてもわかりやすい)というしっくり感。孤独感に対する共感は連帯感といえるか。
 それらをさっくりと読める短編の中で書き込まれているという、さすがの文豪。そして最後はカミュがよく描く〝どちらでもない〟という文学で終わる。
 やられた!と思いましたね(世紀の文豪に何言ってんだって感じですが)


余談

 ヨナは始めポジティブの化身のように生きていますが、それには物語中〝星〟という言葉で表されています。とても表現するのに難しい現れ方ですが、肯定感を視覚的に表したような概念という感じでしょうか。とてもムズイ。みなさんは読んだらどんなふうに感じるのでしょう。

おわり

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