限りなくお世話様、蛍丸(刀剣乱舞)

 どんな刀がいるんだろうとインターネットを回遊していた、刀剣乱舞を始めた当時。大太刀の攻撃範囲の広さとスロ3(刀装を3つつけられる)刀への憧れが高まっていました。そんな中で、蛍丸はそのどちらも叶えてくれるなんという夢のような刀。しかも見た目が可愛らしい。こんなキャラクターが大太刀を振り回せるのだろうか、と心配になりつつも(のちにアニメ「花丸」のオープニングで同田貫に腕相撲で快勝する姿に色々と複雑な思いを抱える)、仲間にしてみせるっ、と鍛刀に思いを乗せました。
 するとわりかし早く、蛍丸は我が本丸の初大太刀、初スロ3として顕現してくれました。彼のおかげの審神者業開始直後の連隊戦やその他数々の苦難を超えられました。感謝。(職場の先輩審神者には「蛍丸を手に入れるのが早すぎる」と軽く舌打ちされました)
 (※愛染国俊の手紙にも触れます)


蛍丸

 攻撃範囲の広い大太刀で、修行前では唯一刀装を3つ付けることができ、大太刀の破壊力を一番槍の如く放つ凶暴さ。それは時に“演練の悪魔”と呼ばれプレイヤー間でも恐れられていました。

 その反面キャラクターデザインはまるで短刀とも見紛う子供っぽさで、セリフも奔放な言葉が多く、プレイヤーを審神者扱いというよりもただの人間として話されるような居心地の良さがある。ころころとしていて、こんな座敷童が家にいたらいいなーとか思ったり(個人の感想)。
 「壊れたところに蛍が集まって修復したっていう伝説があるから蛍丸」と自身を説明しなんとも可愛らしい逸話だろうかとも思うのですが、その前の一文が実はとても不穏だったりする。
 「昔阿蘇神社にあった宝剣は、なぜか今、ここにあったりして」
 と存在を過去形で話す蛍丸。実は蛍丸の本体は現存せず、戦後のごたごたの最中に消失してしまっている。
 それが蛍丸のキャラクターデザインにも関係しているとのこと。

 蛍丸はなぜ大太刀なのに短刀のようなキャラクターなのか、って疑問がよく話題に出たようで、蛍丸を調べてみた想像で“本体が大太刀にしては小さいほうだったから”とか“現存していないから迷子”という子供説とか(私はこうあっけらかんと考えていた)
 でもそこで担当の声優さんから公式設定のネタバレがあった模様。物議をかもしたらしいのと又聞きの又聞きって感じなので、ただの妄想にも近しいと思ってもらって。


一点突破

 それが“戦後GHQの刀狩りで、海の底にいるから”というもの。衝撃的な理由でしたね。
 それが理由で成長止まるんか、とか色々思ったりもしますが。
 蛍丸の中で時が止まってしまっている。現存していないことで刀の来歴が止まってしまっている刀。そんな蛍丸が修行にいきます。

 場所は阿蘇神社。自身を家宝とまでしてくれた阿蘇家へ赴き、自身の逸話に向き合ってくるというもの。「降り注いでくる蛍の光」といいながらもそれは蛍なんかじゃない、それを「阿蘇の地脈から溢れ出た霊力」といいます。それを浴びてもっと強くなると。
 ほうほうそれはそれはキレイそうと想像しながら、思い出されるのは、蛍丸の兄弟にあたる刀「愛染国俊」の手紙でした。それが
 「加護ってのはさ、要は人の思いの力なんだよ。モノだけあっても働かない」や
 「主さんのためにこの力を発揮したい」、
 「それには主さんがオレを信じてくれることが必要だ」
 という言葉(いい言葉)
 蛍丸の場合は地脈からの霊力なので、自然的なモノが大きいかもしれないけれど、その地脈には阿蘇の信仰、2000年続くという阿蘇神社の脈々とした信仰心が流れていると信じる。
 なぜなら戦後“台湾から復員した阿蘇神社の宮司、阿蘇惟友さん(故人)は、生涯をかけて蛍丸を探し続けました(くまもと県民テレビ)”だったり、現在も、蛍丸復元プロジェクトが発足し、完成した刀が阿蘇神社に奉納されたり、と蛍丸という刀へ、その信心が注がれている。
 これは愛染国俊が審神者の信じる心を力にしてくれるように、修行から帰った蛍丸が、これまでも途絶えることのなかった蛍丸への信心を、そして歴史はこれからも脈々と紡がれていることを、力にしてゲーム内の蛍丸極が活躍していってくれるものと応援するのであります。


余談

 蛍丸の手紙の二通目、
 たまたま「いくさに巻き込まれちゃった」といい、
 「こっそり動く分には、歴史への影響もないだろうし、ばれたりもしないだろうし」と元の主の手伝いをしています。
 これ何にバレないようにでしょう。時間遡行軍?検非違使?もしくは、時の政府?
 修行にいく上での時の政府についての言及とかってあったかしら?

おわり

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