歌仙兼定
〝天下一気が短い〟といわれた元の主・細川忠興が三十六人の家臣をこの刀で手打ちにしたことから、三十六歌仙にちなんで名づけられた歌仙兼定。逸話通り三十六人の和歌の名人の風流と雅を愛する文系と、三十六人を手打ちにする力強い肉体を合わせ持つ刀剣男子に。
風流や雅といった品の良さに重きを置いていて、歌仙である、文系であるという自尊心が強く、「計算ごとは苦手でね」というセリフや手合わせでの「文系故に、力任せに攻めてしまったよ」というセリフに笑みを誘われる。その〝力任せ〟のごり押しという力強い頼もしさを感じさせながら、戦闘時の「首を差し出せ」や「せめて雅に散れ」という言葉には殺伐としていながら雅やかさがあります。
小夜左文字と同じ主の元にいたことがあり、ゲーム内でも仲良し。優しいお兄さんのようで和みます。(短気を起こすと小夜のほうが精神年齢が高くなる。和む)
歌仙兼定の修行
修行といえば元主の元へ。ということで歌仙兼定は細川忠興(号名・三斎)の元へ向かいます。
三斎といえば文化人としても名が通り、歌仙兼定は〝文化的な審美眼を鍛えてくる〟という。
歌仙兼定の手紙は書かれていることと、歌仙兼定の気付きにちょっと時間的にずれがあると思っている。(そこがまた雅なのだけれど)
三斎の元へ赴き、直に接し、亡くなるまでの間を見続けた歌仙兼定。
二通目の手紙で歌仙兼定は、
〝乱交をおもしろおかしく取り沙汰されることがあるけれど、
芸術家とはそういうものではないかな?〟と書く。これだけ読むと、芸術家?と突然の単語に不思議にも思いながら、
三枚目晩年の三斎は
〝非常に穏やかな方だった〟という。そして
〝要するに、純粋な方だったんだよね。
それ故に許せないことが多くあったのだろう。
だが、それも年を重ねて、飲み下せるようになっていったのだろうね〟と書く。
ここの〝純粋な方〟というのを歌仙兼定は二枚目を書き終えるころ既に気付いていたんだなと思う。三斎の純粋故の鋭敏さを芸術家故とすでに二枚目でいっている文系刀剣男子。雅。
〝目標はできた〟と。そして帰ってくる歌仙兼定です。
一点突破
帰ってきて驚いた。着ているものの色調ががらりと変わり、なんとも極め雅な裏地が光る。顔は丸みを帯びた笑みを浮かべ、筆と短冊を手に持っている。風流!雅!である。
風流、雅は見た目だけでなく、戦闘時にも「その首、刎ねて差し上げよう」や「血を華と咲かせよ」とまた一段と雅やかさが増している。他にもいいセリフがたくさんで、穏やかになったもの、主との距離が近づいたもの、力強さが増したもの、とバリエーション豊かに楽しませてくれます。
しかし修行前と修行後が一目でわかりやすい部分。それが特命調査での歌仙兼定です。
場所は慶長熊本。細川ガラシャがまだ死んだことになっていない世界。
ガラシャであってガラシャでないものとそれをかばいながら逃げる地藏行平の二人を追いかける、古今伝授の太刀と歌仙兼定。これの修行前の一連と修行後一連を見比べるのがとても楽しい。 古今伝授の太刀の含みある独特な言い回しや〝間〟に一々苛立つ修行前の歌仙兼定と、
穏やかに揺蕩うような抑揚のある会話をし、時には失敗を冷やかされる場面でもうまい返しをする修行後の歌仙兼定。
一瞬固まってしまえるくらいの変貌で、お兄さん感が増々して、きっと小夜左文字も喜んでくれることでしょう。
終始余裕を見せる歌仙兼定は修行の成果を惜しげもなく見せてくれます。とてもかっこいい。
しかし物語の最後、ガラシャの辞世の句を引用し締める、という部分は、修行前も修行後も変わりがない。(話し方や細川忠興へのニュアンスのようなものは全然違いますが)
修行後より一層の審美眼を備えはしたものの、修行前の歌仙兼定も同じく風流で雅だったことを確かにしてくれるいいシーンです。どちらもかっこいいぜ!
余談
うちの本丸では歌仙兼定が初期刀です。
ちょっとばかしの武道の心得で体育会系でもまれるも、そのあと読書にドハマりするという私の経緯が歌仙兼定を一目で選ばせてくれました。よかったよかった。極の発表を見たとき椅子に座っていたのに大きく胸を打つ衝撃と、体が少し浮く感覚、今でも覚えております。これからもよろしく、歌仙兼定。
おわり
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